運不運、どちらを引き寄せるかは心次第

プロゴルフで優勝する人と、低い順位の人との技術的な差とは、ほとんどないのだそうです。トレーナーの方によると「運」で決まるらしい。優勝する人とは、その運を呼び込むための、心のトレーニングをしっかり行う。普通、運不運は自分の努力とは関係のない、不可抗力によるものと考えがちですが実際は違うようです。歩道を歩いていて、そこへ車が突っ込んできても、上手くかわす人がいれば、事故に遭ってしまう人もいます。このような違いはどうして生じるのでしょう。

あるいは凍った道路を歩いていて転んでも、上手く手を付いて頭を打たない人がいれば、転倒して頭を強打する人もいます。これらには形而上学的な法則があるようなのです。両者の違いは明らかです。何か仕事の場合でも、ミスなく完璧にこなす人がいれば、ミスや勘違い事を頻繁にする人もいます。ミスの多い少ない、運不運も心から来ています。心が安定していない、注意力が散漫である、集中力に欠ける、意識のぼんやり感、自分の周囲への気配りが足りない、研ぎ澄まされた神経であるかないかが、運不運に大きく影響を及ぼしていないでしょうか。

宝くじに当たることが幸運と思われていますが、高額当選者の中には、その後、悲惨な人生を歩んでいる方もいます。当選したことを秘密にしていても、生活ぶりが変わりばれてしまうようです。生活が派手になる、人が集まるようになる、いつもおねだりされる、そのようなお金だけの関係となれば、お金が尽きた時、人は去ってゆきます。アメリカでは、高額当選者は発表されますので秘密にすることは出来ません。募金などが全土から殺到することでしょう。大金を持っていることが公にされるということは、身の危険を晒してしまうことです。

高額当選のお陰で結果、家族がバラバラになる、人生が破たんしたとすれば、高額当選は不運の始まりだったと言えます。運不運は表裏一体です。病気や事故を通して、これまでの生き方、心の持ち方を変えたならば、一見不運・不幸な出来事は、幸運へのステップとなるでしょう。幸運なのか不運なのか、結果を見てみないことには分からないとすれば、とても流動的であるといえます。そうしてこれらは主観的であるということです。幸運が不幸の始まりとならないようにしたいものです。

目標を成就させるためには、願い事を自分の潜在意識に焼き付けます。願い事を紙に書き出してみる、声に出して唱える。このことを毎日繰り返します。繰り返すことで潜在意識に深く刻印される。人間の心には、強く願ったことは成就させる力があります。今自分の歩んでいる人生とは、自分が心に描いてきていたはずです。運命好転には、釈迦が説いた八正道の生活を身につけることです。正しく見る、聞く、語ることにより心の癖が修正されてゆきます。

心の癖は正しい判断を出来なくし狂わせてしまいます。心の癖を如何に正し、人間関係を良好なものにしてゆくか、これにより運命は好転します。運命とは命を運ぶことです。人との関係、社会、自然界と調和できなければ不運になるのは致し方ない。人生は自分の心を正し、お互いに助け合い、手を取り合い、より良い社会を築くためにあると言えます。八正道とは、釈迦があらゆる体験を通して悟った八つの正しい道です。自分の人生を誤り少なくするためにも是非参考にしていただきたい。