顔施(がんせ)、お金のかからない徳積み

徳のある生き方、徳積みの行いとしてはお布施が一般的です。お寺に寄付をしたり、困っている人を援助したりしますが、これは経済力を必要とします。小額でも出来ますから貧乏人でも行えるのですが、小額ですら出せない人はどうするか。顔施(がんせ)という徳積みの行があります。これは周囲の人々になるべく良い笑顔を見せることで、人々の心を明るくしてあげることです。皆が笑顔になれば、そこに調和が生まれます。平和と安らぎをもたらす、なんとすばらしい行いでしょう。

微笑みの国と呼ばれるタイでは、良い笑顔を作ろうと熱心な人が多い。見知らぬ他人であっても、声を掛ければ笑顔がかえってきます。見知らぬ旅人であっても、食事をご馳走してくれたり、宿泊までさせてもらえたりします。タイでは、人に尽くすという行為が浸透しています。仏教国であり、お坊さんの托鉢の風景は、どこででも見られる日常的なものです。徳積みに熱心な国民性なので、良い笑顔を作ることは当然のことなのでしょう。日本人の旅行先としてタイが大人気だが、人気が高い理由は多くあります。

顔施は、学校や職場、どこででも毎日できます。これほど徳な生き方は、あるでしょうか。たとえ道行く人々が、むづかしい顔をした方が多くても、笑顔の方がいたなら、心が一瞬和らぐでしょう。笑顔は相手の緊張を解きほぐします。とっても良い笑顔で話しかけられたなら、決して悪い気はしないでしょう。笑顔は、人間関係の潤滑油の役目を果たしています。他人を幸せにする習慣は、自分自身をも幸せにします。作用反作用、循環の法則、自分が幸せになりたいなら、まず他人を幸せにしましょう。

幸せは、奪い取るものではなく、向こうからやってきます。笑顔を振りまく人は、人々から好かれます。学校や職場で沢山の仲間が出来ます。プレゼントを貰ったり、様々な誘いがあります。社会人であれば、仕事を支えてくれる協力者であったり、沢山の受注が取れたりもします。むづかしい顔をしていたのでは、誰も寄り付きません。こうしてみますと、良い笑顔とは、徳積みというよりも「現世利益」そのものです。自分も他人も幸せになれる、損をする人はいないのです。

社会をより良くするのは一人一人の生き方です。街中を歩く人に、笑顔の人が少しでもいたなら、笑顔の人は、次第に増えてゆくことでしょう。たかが一人の生き方であっても、社会に対する影響は大きいです。お釈迦さま一人の悟りが、当時の世界に広く伝わり、2500年経った今日でも、世界中の人々が釈迦の教えを心の拠り所としています。一人の悟りが世界を変え、未来にも受け継がれてゆく。自分の身近にいる人たちも、かけがえの無い尊い存在であることを再認識しましょう。

人の顔はそれぞれ違っていても、笑顔は、誰の笑顔もいいものです。キャビンアテンダント(スチュワーデス)さん達は、鏡に向かい良い笑顔を作る練習をされるそうです。人間関係は笑顔で始まります。しかし良い笑顔を作る目的が、自分に対する何らかの利益であるならば、それは見返りを期待した笑顔ということになります。正法では、見返りを求めない、与えるだけの愛を説いています。究極の目的は、見返りを期待しない笑顔を、与え続けられる人になることです。