モーゼ、釈迦、イエス

モーゼは奴隷の子として、釈迦は王子として、イエスは左官の子として生まれた。

モーゼが奴隷の子として生まれたのは、モーゼとして生まれてくる霊は、社会の一番下層に生まれて、下から上へと正法を広める使命を神から与えられているからである。

釈迦が王子に生まれたのは、釈迦となる霊は、社会の上層部に生まれて、上から下の方へと神理を広める使命を持ち、イエスは左官の子として社会の中流階級に生まれて、横の方に広く正法神理を広める使命を神から与えられているのである。

物質文明の奴隷から自らを解放

やがて人類は、物質文明の奴隷から自らを解放し、人生の目的と使命を悟って行くでしょう。


私達はその日のために、一切の地位も名誉も、欲望も捨てて、人々のために生きて行こう。それ以外に人類は救済できないからだ。

正法と預言 (continuation)

一回没落したアメリカは、再び復興する。アメリカの復興の源泉は“正法”である。

光を利用して、遊星間を旅行するようになり、ほかの天体に人間がいることを発見するのは百年後である。

●関東大震災を起こす地下エネルギーは、すでに地下に充満しているので、今、関東大震災をやられては少なくても三百万は死ぬ。それはあまりにも悲惨だから、関東沖にあるマグマを伊豆半島沖からさらに遠州灘の東海沖の方に移し、それでもエネルギーがあまっているので、鹿児島の桜島とかそのほかの山を噴火させて、溜まっているエネルギーを分散放出させているのである。

●今から一万年前、アトランティスで大陸の文明を築き上げた、高度の知識と智慧を持った霊魂達が、これから生まれてくるのである。

宗教団体

宗教団体の本山、本部がなぜ冷んやりして、雰囲気が暗いか。宗教は「慈悲」、「愛」を説くのであるから、明るく暖かくなければならないはずである。宗教団体の本部職員間はしっくりいっていない。嫉妬心がお互いに多い、なぜなのか?

その宗教団体は、いくら正しいといっても、その教義が間違っていれば、「これは正しい、これは正しい」といいつつ、その信者は地獄に堕ちるのである。すると地獄に堕ちた信者は、「これが正しいと思い、これを信じていれば極楽へ行けると信じてきたのに、正しいと思いつつ地獄へ堕ちた」と思う。

そういうことで恨みを持った地獄霊達が、宗教団体の本山、本部へ抗議に押し掛けるから冷やかで暗いし、そういう霊気を受けるから、本部職員達も心が安らかにならないのである。

正法と預言 (Prophecy from 1970 to 1976)

●日本で食糧危機は起こらない。

●三百年後の日本の東北地方以北は酷寒地となり食糧も取れず、寒くて人が住めない地になる。

●肉体と意識の相関関係は科学的にはっきりと解明され、肉体は乗り船としての使命をより永く果たしてゆくようになります。

●光・磁気・電気エネルギーなどを応用した乗り物が発明され、電磁場を安定した乗り物によって遠距離まで早く到達することが可能になり、宇宙空間を狭めてゆくようになる。(宇宙空間の五つのファクター「重力・引力・光・磁気・電気」)

●物質至上主義は前世の遺物と化し、その奴隷化から開放され、言語も統一されてゆきます。全人類の相互協力、調和以外に前進のないことを悟るようになる。皆兄弟であることを知り、心と心の調和の社会が実現されてゆく。

●現在の科学の力では、他の天体に人間がいることは分かりませんが、あと百年すれば分かります。他の天体には、その天体の人間を指導する如来(光の大指導霊)、仏陀がいます。 続きを読む →

拝む対象とは、神の心と自らの心との対話

地球という場が神の意識の現れとするならば、地球そのものは大神殿といえます。私たちの住む場は、都会も地方も、たとえどんな僻地でも大神殿です。今から二千五百四十余年前、釈迦はインドのクシナガラというところで、その生涯を終えました。キリストは一世紀にイスラエルのゴルゴダの地でこの世を去った。釈迦の時代やイエスの時代には、仏閣や教会は存在していませんでした。当時、他の宗教には、偶像、祭壇もありましたが、釈迦やイエスは、そうしたものは一切作らなかった。これらを歴史的にみると、後の人たちが造り始めたのが始まりのようです。

釈迦は妻子を捨て、王子の座を投げ出し出家しましたが、この時代は戦争と貧民、支配者と被支配者、武力と圧制、邪宗の横行など、人の道は地に落ち、支配者以外は動物以下の扱いを受けた時代で、今日とは、その背景がまるで違っていました。悟りを開いた後において、釈迦は、在家の衆生に仏教を伝道し、いたずらに、現実逃避のために出家することを戒めました。人間の目的は、現実社会の調和にあります。普段の生活の中に悟りがある。釈迦はその道を多くの人々に教えるために、あえて出家しました。そして自らが、その苦しみを解脱して、人類救済の目的を果たしてゆきます。 続きを読む →

正法、過去1万年の流れ

約1万年前、南大西洋にアトランティス大陸がありました。人々は太陽を崇拝し、慈悲と愛の心こそ、人間のあるべき姿として、正法が説かれていました。正法を説いた方は、アガシャーと呼ばれた方。アトランティス大陸陥没後、約60年の後、アトランティスの文明・文化は、エジプトに移ってきました。今から三千二百年前、モーゼが現れる。二千五百年前、インドに釈迦が生まれるまでの一時期、地上界の意識は、地獄の様相を呈し、略奪・強盗・殺人が幅をきかせる。釈迦は主に慈悲を説き、イエスは愛を説きました。

その後、正法は、西から東へと移り、インドから中国へ。中国では、天台智顗(ちぎ)が法華経を世に伝え、正法を復活させました。しかし、この時すでに、仏教は、むづかしい哲学・学問に変わってしまい、大衆を救う力はありませんでした。天台のあと、伝教が、日本に仏教を持ち込みましたが、他力信仰と変わり、キリスト教は、祈りの宗教へと変わっていった。イエス様やお釈迦様がお亡くなりになられた後、教えは法の力を失い、他力信仰へと移り変わってゆきました。現代は、お釈迦様が亡くなられて二千五百年後で、末法と呼ばれています。 続きを読む →

心の中で想ったことが、そのまま展開されたなら

心の中で想ったことがそのまま展開されたなら、果たして、生きてゆける人はいるのでしょうか。過ちが許されないとしたなら、誰が、生きてゆけるのでしょう。私たちは許され、生かされてきたから、人類が歩み続けることが出来ています。反省の機会を与えられているということは「愛」と言えます。自分を振り返り、反省することで、許しを得て、自らを前進させてきたのです。自らの心を浄化する方法とは、反省により、過去の誤りを見極め、新たな自分の心で、正しく行為できる人間になることです。

人々は、神社、仏閣にお参りに出かけ、お賽銭を入れてお願い事をします。一体何をお願いするのでしょう。仏閣に出かけると、沢山の絵馬が掛けられています。一番多いのは、受験合格のようです。熱心に勉強されている方々らしく、どなたの文字を見ても達筆です。合格したいならば、一生懸命に勉強するしかありませんが、最後は、神頼みのようです。純粋な力量だけではない、何か見えない力、作用が働いていて合否が決まることを感じ取っていることでしょう。 続きを読む →

犀(サイ)の角のようにただ独り歩め、釈迦のことば

原始仏典の中の「スッタニパータ」に書かれた経典です。人と群れることなく、独りで歩むことを勧めています。人間は集団の中で生きるものであり、集団生活があるからこそ人類が生きながらえてきました。社会生活の中、人間関係で苦しみながら何かを学んでゆきます。こうしてみると、社会生活の中で揉まれるからこそ修行と言えそうです。社会から離脱して単独で生きるならば、社会不適合者として、良くない烙印を押されてしまいます。

しかしお釈迦様は「ただ独り歩め」とおっしゃています。これは修行者に対しての言葉です。人と交わることは煩悩が生じるからです。いつも声を掛けられる。遊びに行こう、呑みに行こう、観に行こう、何かの誘いを受け、それを断るわけにはいかなくなる。大勢の友人がいれば、いつも誘われ続ける。大勢の友人たちを維持するためには、誘いに参加しなくてはならない。人間関係の輪から抜け出せなくなります。友人が多いことは良いことという風潮に流されてしまう人は多い。 続きを読む →

お酒と生活、酒とどう付き合うか

私は、20~30代まで人並にお酒を飲みましたが、あくまでも社会生活を営む上で必要に迫られてでした。お酒の付き合いが出来ないと、困る場面は沢山あります。お葬式や結婚式をみてもわかる通り、あらゆる場面で振舞われるのがお酒です。お酒が飲めないと、ビジネスでも損失が大きくなることでしょう。人との付き合い、ビジネスの場合でも、お酒を飲んで、相手の本心を出させる(探る)のが目的です。その為、お酒の席は、どうしても必要になります。

イギリスの医学雑誌「Lancet」に記載された記事によりますと、二十数種類のドラッグの内で一番有害なものとは、アルコールなんだそうです。アルコール飲用者自身の精神的、肉体的な害、家族の破壊、社会に対する害など、誰しも思い当たる節があることでしょう。WHOでもアルコールの成分は、非常に有害であると認定されています。有害度一位であれば、危険ドラッグとして規制され、所持することも出来なくなるはずです。 続きを読む →

思想の統一、世界政府への道のり

インターネットが普及して国家間の壁がなくなりつつあることは、誰の目にも明らかになってきました。様々なニュースは共有され、世界の人々は同時に知ることができる。SNS利用者もまた、地球上のどこに居る人たちとも友達になれ、リアルタイムで交流できてしまう。ネットビジネスが盛んとなり、ネットを使った金儲けが持てはやされる。確かに便利なことは便利なのだが、その陰で、消え去っていったものも多くあることを忘れないようにしたい。

ボーダーレスという言葉は、1990年代からよく使われ始めていました。私が、最初にインターネットを利用し始めたのは、ちょうど1990年でした。当時は、インターネットに接続するには、マニュアル本をよく読んで、様々な設定をこなし、ようやく接続できた。インターネットに接続できた喜びは、とても大きかった。その頃のネット利用者数とは、10人の内1人いるかいないかの印象でした。当時のネット上は、あらゆる情報が溢れていましたが、次第に削除されるサイトが目に付くようになりました。 続きを読む →

感謝の心で、お肉をいただく

私は、子供の頃から肉は好きではありませんでした。カレーの中に肉が入っていても、お皿の脇に置いて、食べることはなかった。かと言って、お肉を食べたことがないわけではなく、ヒレカツ、トンカツ、鶏のから揚げなどを食べ、美味しいと思いました。しかし、私がスーパーなどに出かけた際、お肉を買うことはありません。生まれ育った土地は、海産物が豊富でしたので、そのせいもあります。この好き嫌いも、過去世から引き継いだものかも知れません。

女性は妊娠すると、食べ物の好みが変わるとよく言われます。胎児の意識が作用するからです。二人の意識が、一つの身体をコントロールしようとします。食べ物は、分かりやすい例ですが、これ以外の趣味や嗜好も変わってくるはずです。妊婦さんは意識が不安定になりやすいので、周囲の人々のやさしい対応が必要です。胎児の意識がやんちゃな子であれば、元々大人しい性格の妊婦さんでも、やんちゃな気質が現れるかも知れません。 続きを読む →

お世辞の言い方、過度なお世辞に注意

お世辞はどの程度までならいいのでしょうか。人の家に上がり食事を頂いた際、最初の一口目で「美味しいです!」という方を見かけます。よく噛みしめて味わっていない内から美味しいと言うと、お世辞であると分かってしまいます。こうなると食事を提供した方は、どんな気持ちでしょう。極端な人の場合は、口に入れた途端に美味しいと言います。美味しいと言ってから食べ始めることに決めているのです。これでは食べる方も、食事を提供した方も、心には少し曇りができそうです。よく噛んで味わってから美味しいと言った方が、本当に美味しいですとの気持ちが伝わります。

骨董品のような価値の分かりにくいものを手に取り、価値がさっぱり分からないのにも関わらず「ほほう、立派なものですね」と言ったとすると、この場合も、心にもないお世辞を言っている訳ですから、心の中に曇りを生じることになります。このようなことの日常的な積み重ねが、次第に心を汚してゆき不安定な心にします。心からの本当のことを言わなければならないが、社会生活を営む上で、どうしても偽りを口にしてしまいます。悪いことを習慣化させないためには、どうしても毎日の反省が欠かせなくなってきます。 続きを読む →

正法とUFO、地上で暮らす異星人たち

カナダの元国防大臣、ポール・ヘリヤー氏は、UFOは航空機と同じように、いつも空を飛んでいると証言されています。科学技術の進歩は、宇宙人からの恩恵によるものだ、とも言っておられます。氏によると四種類の宇宙人が地球で暮らしているらしい。コンピュータの進歩は目覚ましい。チップ開発のヒントは墜落したUFOからと言われています。さらに有名なものとして、暗視ゴーグルや電子レンジも、墜落したUFOから回収した技術らしい。これらはホンの一部であり、一般人はただ知らされていないだけです。

ロシアのメドベージェフ元大統領は、ロシアには「自国内にいる宇宙人たちを監視している特殊機関がある」と発言した。また、「地球にはどれ位の宇宙人たちが住んでいるのか」との問いかけに対し、それは言えない、そんなことを話したらパニックになるから、とも答えた。もう何十年も前になるが、米軍が発表した、地球を訪問している宇宙人の種類は、56種類ほどだと言う。それらの宇宙人たちは、私たちと風貌はほとんど変わらない。彼らは、惑星間を行き来しているのがうかがえます。 続きを読む →

身体のスピリチュアル能力、身体の潜在力

目隠しをしながら片方の手で、同じ重さのモノを持つ実験です。すると身体に有害なものを持つと重く感じ、身体に良いものの場合は軽く感じます。身体は、それが良いものなのかどうか分かっているのです。人の身体は小宇宙といわれるように、一つの生命体としての意識があります。その神経を研ぎ澄ませれば、私たちの周辺にあるものがどういうものであるか予測がつきます。しかし、私たちは普段からそのようなことを意識していませんし感覚は鈍ってしまっています。

私は普段、ほとんど水しか飲みません。水しか飲まない生活が長くなりますと、自販機の飲料は薬品の味がして飲めなくなります。食事は肉類は食べず、ご飯と野菜炒め、味噌汁、納豆、キムチなどです。昼にこれを食べて、夕飯はお蕎麦かウドンが一杯の一日二食。一日二食を勧めている訳ではありません。体力を使うお仕事をされている方は、しっかり三食食べないと活力は出ないことでしょう。私には、二食が合っているだけです。私は、自分の身体に問う生活をしてきました。 続きを読む →

フィボナッチ数、自然界に現れる数字

自然界の至る所で見られるフィボナッチ数。この数字を元にして自然界、宇宙が形作られています。科学者には、神を信じる方が多いらしい。なぜなら自然界が秩序立って作られているのを発見するからのようです。極小の世界から極大の世界まで同じような仕組みとなっている。私達が美しいと感じるデザインや構図などもフィボナッチ数に則っています。画家やデザイナー、建築家、様々な商品開発では、この数値を計算に入れています。つまり自然界は、自然偶発的に出来たのではなく、設計して作られていそうです。

フィボナッチ数は、植物、動物などの生物でも見られます。花びらの数、枝の生え方、昆虫たちの身体の構造など、フィボナッチが基本となっています。このような自然界のルールを発見すると、科学者たちは、発見したと言うそうです、発明ではありません。神が創作した宇宙の中から見つけ出したものだからです。フィボナッチ数は、お金儲けのためにも使われています。株価のチャートを描いて、今後の株価予測をする際に、フィボナッチ数を用いるのです。 続きを読む →

テロメア、寿命の切符は殖やせる

近年、健康法、長寿法としてテロメアへの関心が高まっています。テロメアとは、染色体の末端にあり、染色体を保護する役目を持っています。細胞分裂をする度にテロメアは短くなり、テロメアが無くなると細胞分裂は止まります。テロメアが生命の回数券と言われる訳です。テロメアを伸ばせる薬が開発され話題となっていますが、過剰に摂取すると、ある種の癌になるようでリスクをはらんでいます。今はまだ研究段階で、臨床試験は十分になされておらず様子をみた方が良さそうです。

生活習慣によりテロメアを伸ばせる方法があります、①瞑想と呼吸法、②軽い運動・散歩(有酸素運動)、③野菜中心の食生活(魚・海藻)、④パートナーとの関係を良好に(良い人間関係)、⑤7時間以上の睡眠、等です。強いストレスを受けると、テロメアは早く短くなることが解っています。従って、リラックスした生活で、ストレスを溜めない生活が大切です。特に瞑想は、テロメアを伸ばす効果がありますので、反省と瞑想は、心を綺麗にするだけでなく長寿にも役立っています。 続きを読む →

手当で治す、生体エネルギーを高める

手当で治る理由は、患部にエネルギーを補給して充電すると考えると分かりやすい。患部はエネルギーが低下状態にありますので、患部の細胞は、その機能を十分に果たせません。そこで、エネルギーを補給することで、患部の細胞を活発化させる訳です。患部の細胞が不活発化する理由は色々あります。肉体的な疲労、精神的な疲労、精神的な疲労には、心の持ち方に原因がある場合が多い。暗い心、悲しい心、恨み、妬み等の心は暗い世界に通じ、良からぬものの影響を受けやすくなるからです。




病院に行くと、医者は目に見える現象にしか対応できないので、原因をつかめず対処療法するのみです。表面的には回復したように見えても、心に原因がある場合は、心を直さない限り、再発を繰り返すようになります。医者通いが続きますが、お医者さんは経営上の理由から、継続通院してくれる方が助かります。沢山の薬を処方することで売上を見込めます。ある時、病院の傍にある薬店に居たところ、ご老人に手渡す薬の量を見て私は驚きました。薬をあたかも食事のように摂取されている方は多いことでしょう。 続きを読む →

顔施(がんせ)、お金のかからない徳積み

徳のある生き方、徳積みの行いとしてはお布施が一般的です。お寺に寄付をしたり、困っている人を援助したりしますが、これは経済力を必要とします。小額でも出来ますから貧乏人でも行えるのですが、小額ですら出せない人はどうするか。顔施(がんせ)という徳積みの行があります。これは周囲の人々になるべく良い笑顔を見せることで、人々の心を明るくしてあげることです。皆が笑顔になれば、そこに調和が生まれます。平和と安らぎをもたらす、なんとすばらしい行いでしょう。

微笑みの国と呼ばれるタイでは、良い笑顔を作ろうと熱心な人が多い。見知らぬ他人であっても、声を掛ければ笑顔がかえってきます。見知らぬ旅人であっても、食事をご馳走してくれたり、宿泊までさせてもらえたりします。タイでは、人に尽くすという行為が浸透しています。仏教国であり、お坊さんの托鉢の風景は、どこででも見られる日常的なものです。徳積みに熱心な国民性なので、良い笑顔を作ることは当然のことなのでしょう。日本人の旅行先としてタイが大人気だが、人気が高い理由は多くあります。 続きを読む →

言葉と病気、言葉が病をまねく

健康でいるためには、愛のある言葉、ポジティブな言葉、建設的な言葉を使うように心がけたい。言葉の波動は、肉体の意識、水、空気、植物など万物に影響を与える。有名な実験では、水の結晶が変化する、植物の発育具合が変わるなど様々な検証がなされています。これらの実験で明らかなのは、水や植物は、人間の言葉の意味を理解しているということです。人間が、植物に対し、火を点けようと思えば彼らは怖がり、褒めたたえると彼らは喜びを示します。

自然界は人間の言葉に反応しています。一番反応しているのは自らの身体です。普段から乱暴な言葉使いの人は、顔の表情も固く、病気がちです。一方、愛のある言葉使いを心掛けている人は、顔は穏やかであり、いつも健康です。きついトゲのある言葉を使っていると身体は悲しんでいます。ある実験では、怒っている人が吐く息を、水槽に入れたところ、中にいた金魚が全滅したそうです。また、怒っている人の血液には、毒が出来ることが確かめられています。 続きを読む →

運不運、どちらを引き寄せるかは心次第

プロゴルフで優勝する人と、低い順位の人との技術的な差とは、ほとんどないのだそうです。トレーナーの方によると「運」で決まるらしい。優勝する人とは、その運を呼び込むための、心のトレーニングをしっかり行う。普通、運不運は自分の努力とは関係のない、不可抗力によるものと考えがちですが実際は違うようです。歩道を歩いていて、そこへ車が突っ込んできても、上手くかわす人がいれば、事故に遭ってしまう人もいます。このような違いはどうして生じるのでしょう。

あるいは凍った道路を歩いていて転んでも、上手く手を付いて頭を打たない人がいれば、転倒して頭を強打する人もいます。これらには形而上学的な法則があるようなのです。両者の違いは明らかです。何か仕事の場合でも、ミスなく完璧にこなす人がいれば、ミスや勘違い事を頻繁にする人もいます。ミスの多い少ない、運不運も心から来ています。心が安定していない、注意力が散漫である、集中力に欠ける、意識のぼんやり感、自分の周囲への気配りが足りない、研ぎ澄まされた神経であるかないかが、運不運に大きく影響を及ぼしていないでしょうか。 続きを読む →

心霊治療、見えない世界の施術者

病院通いをしても治らない場合、心霊治療で治す患者さんがいます。ヒーラーと呼ばれる医術者からパワーを受け、目に見えて快方に向かう。ヒーラーは元々そのような力を持った方もいれば、修行を積んでヒーラーになった方もいる。医術の前には瞑想をして精神を整える。彼らは自分の力というよりも、自分の背後にいる見えない世界の術者の媒体として自分が行っていることをよく理解しています。自分の力であると思い上がった念を抱くと、そのパワーは衰えてゆきます。

医者から見離された患者さんは、心霊治療を幾度か受けて回復してゆきます。しかし、病になった原因が消えた訳ではありません。何でもそうですが、根本から原因を治さないと、再び病がぶり返します。心霊治療は、いわば予定調和の先取りと言ってよく、どこかで辻褄を合わせる必要があるのです。本来ならば、病で苦しみ続けるところ、天からのスピリチュアルパワーで癒してしまうのです。これは反省がとても重要です。病になった原因をよく追究して反省しませんと反作用が訪れます。 続きを読む →

作家の心構え、心があの世に通じてしまう

作家の中には、気がおかしくなる方が結構おられるそうです。作家は、物語の主人公に成りきって執筆します。愛情を描いたものであればいいですが、たとえば暴力、ポルノ、サスペンスものを書く場合は、その情景を心に描きながらペンをとることになります。毎日心に描いて書き進めますので、潜在意識にまで深く情景が焼き付きます。そうして知らず知らずの内に、自分の意識が蝕まれてゆきます。心に描いた世界とあの世とで同通してしまいます。暗い心になりますと暗い世界に通じ、争い事ばかりを考えていると、そのような世界とコンタクトされます。同じ心の波長なので共鳴するのです。

類は類を呼ぶといいます。同じ波長の者同士が集まるのです。友達や仲間というものは似たもの同士が多い。もしも自分が成長したいなら、自分よりも意識の高い人達と付き合った方がいい。勤勉な者は教養が豊かであり、彼らから多くを学べる。作家が小説を書く場合は、自分の人生経験や物語にまつわる取材がベースとなることでしょう。自分の人生経験に基づかない小説では、読者の心を捉えることはむづかしい。人の心は同じように出来ているので、相手の心を推し量ることは出来そうですが、無謀であるとも言えます。大人は子供達の気持ちは分かるが、子供達は大人の気持ちは分からない。この世に出てからの経験が違うからだ。 続きを読む →

今を生きる、過去には戻れない

過去の苦い経験が心から離れず、いつも思い出しては苦しめられる。寝床に就く時や朝の目覚めの時にも嫌なことが思い出される。これもやはり執着の念の作用です。心がその事柄に固執しているのです。私達は、過去に戻ることは出来ませんし未来へも行けません。今この瞬間に生きるだけなのです。どれ程、過去の出来事を悔んだところで後戻り出来ません。ですから、心を苦しめる過去の念を断ち切らなくてはなりません。人生は一瞬一瞬が連なり、未来へと向かうだけです。過去の束縛から離れ、未来に対し建設的にならなくてはなりません。

執着の念というと、モノに対して考えてしまいがちですが、想念に対しても働いています。過去の苦い経験がトラウマとなり苦手意識に支配されてしまう方が多い。特に幼少期に受けた体験が、その人の一生を決定付けてしまったりします。三つ子の魂百までもと言われます。三歳までに出来た心の傾向は、百歳まで受け継ぐということです。自分自身を含めた身近な人を見ると、正しくその通りだと思います。幼児期における家庭環境が良くないと、お子さんはその影響を一生引きづる可能性が高い。夫婦関係が不和な家庭のお子さんは非行に走りやすい。統計からも明らかとなっています。 続きを読む →

夢見、朝方に観るわけ

夢は朝方に見る場合が多いですが、それは、意識が活動しやすくなっているからです。寝る前は電気に例えると放電した状態ですが、朝方は充電が完了した状態です。夢の中では、故人に会うこともあり、時間や空間を飛び越えています。霊視の効く方が見ると、人は睡眠中、あの世で自由に活動しているそうです。その時の心の状態に合った、あの世の世界に行っています。朝目覚めて、怖い夢を見た場合は、そのような世界に行っていたのですから、よく反省する必要があります。

脳神経外科の世界的権威である米国医師のエベン・アレグザンダー氏は、自身が経験した臨死体験により、あの世が実在することを証明した。この話題は世界中を巡り、医師達に衝撃を与えた。なぜなら、その臨死体験の内容が「あの世の実在を証明する内容だった」からです。私たちは、睡眠中に様々な夢を見ます。すでに亡くなった人に会ったり、見知らぬ人であったり、過去世での自分の行動を眺めている場合もあります。天国のような場所で過ごしたり、また逆に、何かに追いかけられて怖い思いをしたりします。目覚めると、次元差が生じるので、なかなか夢を思い出せません。 続きを読む →

心の毒、もっとも深刻な毒

誰しも争い事はしないで人生を平穏に過ごしたいはずですが、些細なことから人間関係がギクシャクします。人間は、感情の動物といわれます。人の感情にはとても敏感なのです。言葉は、多過ぎても、少な過ぎても、意志がうまく伝わらない場合があります。話下手の人ですと、上手く話そうとして言葉が上手く出ませんし、また吃音症の人の場合は、言いたくても言えないもどかしさと苦しみがあります。意志の疎通が上手く出来ないことで余計な誤解を生み出しています。

人と言い争って相手の毒気を食べますと、これは容易に心から消えません。時間が経つに連れて忘れかけていても、思い出せば、すぐに心苦しくなります。肉体に受けた傷であれば、治癒してしまえば大丈夫ですが、心の傷は心に刻印されてしまい、いつでも再生可能なのです。心の毒は肉体をも蝕みます。毒を食べないようにするしかありませんが、食べない方法はあります。釈迦は弟子たちに、相手から論戦を挑まれても、決して応戦してはならぬと指導をされていました。毒を食べないためにです。 続きを読む →

掃除・反省、釈迦のお弟子さんにならう

お釈迦様のお弟子さんに、自分の名前すら覚えられない、もの覚えの良くない方がいらしたそうです。その方は自分の仕事として、毎日お掃除を熱心にこなされました。掃除をしながら「綺麗になれ、綺麗になれ」と声に出しながら掃除をされたそうです。その方はやがて自らを悟られた。掃除をするよう指示を出したのはお釈迦様であった。そのお弟子さんが亡くなられ、彼のお墓の上に生えてきたのが茗荷でした。物覚えの悪いお弟子さんの墓の上から生えてきた。「茗荷を食べると物忘れする」という話は、ここから生まれました。

私達は歳を経るにつれ、子供の頃の純真な心を失ってゆきます。人を中傷する、怒る、愚痴る、むさぼる、悲しむ・・・日頃の生活習慣を通して次第に心は汚れます。反省が必要と分かってはいても、時間が取れなかったり、一人になれる機会が持てず、なかなか実行出来ません。そこで普段から掃除の習慣を身に付けるといいのです。掃除をして床を磨くように、心を磨く。 続きを読む →

心が出発点、願いは叶えられる

オリンピックに出場する選手達は、幼少の頃から、オリンピックに出場することを夢見ていた方が多い。事実、オリンピック選手達の多くは、小学生時代の作文では「オリンピック選手になり金メダルを取りたい」、「ワールドカップに出場して○点のゴールを決めたい」といった将来の抱負を書いていた。それら小学生時代の作文や日記は、実際に公開されています。

ある社長さんは起業をし、その会社を大企業にまで成長させた。社員がわずか数名しかいない起業時に、いづれ一兆円の企業にすることを夢見て、強い決意を堅持していた。さらに自分の人生を十年毎に区切り、その十年間で何を為すか、予め人生のプログラムを設計していた。二十代の時点で、八十歳までの人生計画を立てて、その計画に沿って事業を進めたのです。今や誰もが知る大企業にまで成長したが、彼はまだ六十歳前後です。 続きを読む →

鉄は熱いうちに打て、若いうちに鍛える

私は、宗教的なことは二十歳の頃から学んできました。しかし学んできたことを人生に活かし切れなかったので深く反省しています。若い内から学んできても人生に活かせない。多くの方は、宗教に関心を抱くようになるのは年老いてからでしょう。年老いてから学び始めて、人生を振り返ることになる。シマッター、もっと早くから知っていれば良かったと思うことでしょう。宗教は年寄りのものと思わず、若い内からの方が後悔は少ないでしょう。

鉄は熱いうちに打てと言う。人も若いうちから鍛えた方がいい。しかし現代の若者たちは可哀想です。就職がうまくいかないと派遣の仕事に就かざるを得ない。派遣の収入では、生きてゆくだけで精一杯です。これから先の人生設計を立てられない。結婚、マイホームが夢となる。これまでの労働者であれば、当たり前だった生活が、当たり前でなくなった。日本は派遣会社の数は世界一多い。株主を優遇させる目的で、企業は人件費を減らすために、終身雇用を止めて、派遣で人を調達することになった。 続きを読む →