オリンピックに出場する選手達は、幼少の頃から、オリンピックに出場することを夢見ていた方が多い。事実、オリンピック選手達の多くは、小学生時代の作文では「オリンピック選手になり金メダルを取りたい」、「ワールドカップに出場して○点のゴールを決めたい」といった将来の抱負を書いていた。それら小学生時代の作文や日記は、実際に公開されています。
ある社長さんは起業をし、その会社を大企業にまで成長させた。社員がわずか数名しかいない起業時に、いづれ一兆円の企業にすることを夢見て、強い決意を堅持していた。さらに自分の人生を十年毎に区切り、その十年間で何を為すか、予め人生のプログラムを設計していた。二十代の時点で、八十歳までの人生計画を立てて、その計画に沿って事業を進めたのです。今や誰もが知る大企業にまで成長したが、彼はまだ六十歳前後です。
自分が思い描いた通りの人生を歩む。これは一般の誰にでも言えることです。身近な人達の証言を集めても「自分が願った通りの人生となった」との証言が多いです。
こうしてみますと「現れの世界は結果であって原因は心にある」ことが明確です。一般的に、運不運や偶然で片付けられることや、あるいは病も、心と深く関わっているのですが、なかなかその実感が湧きません。それは意識の広がりや深さにより、または、過去自分が為した行為を忘れてしまうからです。日常生活の上において、人から悪口を言われる、何かの暴行を受ける場合は、過去にその原因を自分が作っています。
正法は「原因と結果は輪廻する」ことを説いています。
良い原因を作れば良い結果が得られ、悪い原因を作れば悪い結果を招きます。因果律は厳然として存在しており、一瞬一瞬の思考が原因となります。心の病もここから来ています。思うことに原因があるのです。思うことは自由だと考えると大間違いです。思うことには制約があると釈迦は説いています。心の持ち方は、学校教育や家庭では教えてもらえないかも知れません。その為、良くないことを心に描き、自分の心をどんどん狂わせてゆくのです。その結果、現代流行りの「そう病、うつ病」という精神疾患に陥ります。
お釈迦さまは、人の念は「一念三千」と言って、念は三千世界に通ずると言われました。
思うことに原因がありますから、原因(思うこと)を正さないといけません。悪いことを考えない、思わない、そうして慈悲と愛の心で満たされるよう心掛けます。人の心は愛に満たされるように出来ています。これはお釈迦様の教えです。
心の中を愛の思いで満たす。そうして、人と話す時は、愛の思いを持って相手を見る、愛の思いを持って聞く、愛の思いを持って語る。愛に基づいた思念と行為が基本であり、その他の念は、邪念となります。テレビや映画、マスコミ報道は、人の心を混乱させる危険なものが多いですが、このようなものを目にしても、自分の心を取り乱さず、愛の心で確立し不動のものとしなければなりません。そのため、日々が修行となります。
心が暗くなる要因の一つには、過去の過ちがあります。過去の苦い経験は、反省して改めればいいのです。反省し悔い改めることで一歩前進できます。自分の人生を一歩でも二歩でも前進し、後退のない人生にしたいものです。