今を生きる、過去には戻れない

過去の苦い経験が心から離れず、いつも思い出しては苦しめられる。寝床に就く時や朝の目覚めの時にも嫌なことが思い出される。これもやはり執着の念の作用です。心がその事柄に固執しているのです。私達は、過去に戻ることは出来ませんし未来へも行けません。今この瞬間に生きるだけなのです。どれ程、過去の出来事を悔んだところで後戻り出来ません。ですから、心を苦しめる過去の念を断ち切らなくてはなりません。人生は一瞬一瞬が連なり、未来へと向かうだけです。過去の束縛から離れ、未来に対し建設的にならなくてはなりません。

執着の念というと、モノに対して考えてしまいがちですが、想念に対しても働いています。過去の苦い経験がトラウマとなり苦手意識に支配されてしまう方が多い。特に幼少期に受けた体験が、その人の一生を決定付けてしまったりします。三つ子の魂百までもと言われます。三歳までに出来た心の傾向は、百歳まで受け継ぐということです。自分自身を含めた身近な人を見ると、正しくその通りだと思います。幼児期における家庭環境が良くないと、お子さんはその影響を一生引きづる可能性が高い。夫婦関係が不和な家庭のお子さんは非行に走りやすい。統計からも明らかとなっています。

正法は、夫婦関係の調和が如何に大切かを説いています。子供に対して、社会に対しての責任が重大だからです。親が離婚してそれを嬉しく思う子供さんが居るでしょうか。子供たちは皆泣いています。やがて成人になると親に対して反抗的になります。親の心配を顧みず自分勝手な行動する子供になります。夜の仕事で身体を張って生きようとする若い女性たちは、親が離婚している場合が多い。あるいは身体に傷をつける自傷行為。これも親の離婚や恋人に捨てられた場合が多い。夜の仕事に就いて身体を張っていきる女性たちには、自傷行為の痕が見られる場合が多い。

自傷行為に留まらず、人生に終止符を打つ人たちが後を絶たない。ニュース報道を見ると、まだ二十代の若者達が多いのには驚かされます。過日も、神奈川県座間市での不幸な出来事が報道されました。十代、二十代の女性たちに自殺願望があることが広く伝わりました。これからの自分の人生に期待の膨らむ年頃なのになぜなのでしょう。これは現代に生きる人々の、心が病んでいることの証のように思えてなりません。また子供の産み捨てのニュース報道も珍しくありません。単なる経済的理由だけなのでしょうか。これらの問題の背景には、人間とはそもそも何なのか、何の為に人生を歩んでいるのか、こうした点が見過ごされている気がしてなりません。

私が、ブログを立ち上げた理由がここにあります。正法からみた、人間の在り方、生き方を掘り下げてみたいからです。人はなぜ自殺するのでしょう。病人や老衰し切った老体なら致し方ない側面はありますが、現実には若者たちです。生きることに希望を見いだせない。死んだ方がマシと考えてしまう程の苦悩とは、どのような悩みを抱え込んでいるのでしょう。お釈迦さまは、知るべきことを知らないのは罪であると説かれています。苦悩を生みだす原因には無知であることが挙げられています。では、知るべきことを知らないとはどのようなことでしょう。

私たちは、なぜ生まれてきて、なぜ死んでゆくのか。この素朴な疑問からスタートします。家庭でも学校でも教えてもらえないので、ただ漠然と人生を歩みます。私たちが置かれた環境は、刹那的な報道で溢れています。ニュース報道は、事件や事故、スキャンダルが多く、映画などは愛を描いたものは少なく、その殆どは暴力的なものです。人身事故で電車が止まるニュース報道はほぼ毎日です。自分の身の回りの人々の価値観、思考に同調しなければ生きにくくなる。自分の人生を見直し、再構築する心の余裕はあるでしょうか。