インターネットが普及して国家間の壁がなくなりつつあることは、誰の目にも明らかになってきました。様々なニュースは共有され、世界の人々は同時に知ることができる。SNS利用者もまた、地球上のどこに居る人たちとも友達になれ、リアルタイムで交流できてしまう。ネットビジネスが盛んとなり、ネットを使った金儲けが持てはやされる。確かに便利なことは便利なのだが、その陰で、消え去っていったものも多くあることを忘れないようにしたい。
ボーダーレスという言葉は、1990年代からよく使われ始めていました。私が、最初にインターネットを利用し始めたのは、ちょうど1990年でした。当時は、インターネットに接続するには、マニュアル本をよく読んで、様々な設定をこなし、ようやく接続できた。インターネットに接続できた喜びは、とても大きかった。その頃のネット利用者数とは、10人の内1人いるかいないかの印象でした。当時のネット上は、あらゆる情報が溢れていましたが、次第に削除されるサイトが目に付くようになりました。
誰かにとって不都合となるサイトは、消される運命にあります。このことを悟るのに時間は要りませんでした。誰かとは誰か・・・ 言うまでもなく権力者たちや支配層です。大衆に知らせてはならない事柄があります。また多国籍企業のような大企業にとって、不利益となる情報の拡散は、止めなくてはなりません。インターネットの普及で、人々の支配、思想のコントロールは、グローバル化してきました。これまでは、国毎に推し進められてきたことを、ネットを介して世界展開しているのです。
ネットの経験が浅い人々は、どのようなサイトが削除されてきたのか知らないはずです。サイトの削除とは、そのサイトの運営者に対して、何ら事前の予告もなしに、突如行われるそうです。サービスプロバイダーにサイトを削除するよう圧力をかけるのですから強権です。誰かにとり不利益、不都合、内密にしたい情報、政府に対し批判的な事柄であったりします。さらには、世界中の人々の、思想の統一を図りたいので、その妨げとなるサイトも消される運命にあります。
インターネットの普及により、人々は幸せになったのだろうか。外国人の友達は作りやすくなりました。その反面、プライバシーが晒され、自殺に追い込まれた人たちも多い。人間不信に陥りやすくなったことでしょう。誰しもが、常識をわきまえ、節度を守り、自らをコントロールできるわけではありません。心が暴走するなら、それはネット上で展開されてしまいます。人々は警戒心を強めたはずです。誰とでも仲良くすることの危険性を知り始めました。
世界で起きている紛争の多くは、宗教観がからんでいます。この対立を解消するべく、思想の統一がやがてなされます。そのため、不都合な宗教は消されてゆく運命です。この視点でみると、これから激動の時代に突入するリスクを孕んでいます。しかしやがて人類は様々な問題を解決したのち、ユートピア社会が築かれてゆくことになります。人類は、過去の過ちを繰り返さないようにしたい。私たちにできることは、自分の周囲の環境を整えること。人々との連携を深め、仲良くし、安らぎある生活をおくることです。