心の中で想ったことが、そのまま展開されたなら

心の中で想ったことがそのまま展開されたなら、果たして、生きてゆける人はいるのでしょうか。過ちが許されないとしたなら、誰が、生きてゆけるのでしょう。私たちは許され、生かされてきたから、人類が歩み続けることが出来ています。反省の機会を与えられているということは「愛」と言えます。自分を振り返り、反省することで、許しを得て、自らを前進させてきたのです。自らの心を浄化する方法とは、反省により、過去の誤りを見極め、新たな自分の心で、正しく行為できる人間になることです。

人々は、神社、仏閣にお参りに出かけ、お賽銭を入れてお願い事をします。一体何をお願いするのでしょう。仏閣に出かけると、沢山の絵馬が掛けられています。一番多いのは、受験合格のようです。熱心に勉強されている方々らしく、どなたの文字を見ても達筆です。合格したいならば、一生懸命に勉強するしかありませんが、最後は、神頼みのようです。純粋な力量だけではない、何か見えない力、作用が働いていて合否が決まることを感じ取っていることでしょう。

健康祈願であれば、健康を維持できる生活スタイルを心がけるしかありません。暴飲暴食、夜更かし、酒、タバコの生活で健康祈願は、お願いされる方も困るのではないでしょうか。先ずは、自らの生活を改めてくださいとなります。イエス・キリスト様の時代には、教会は存在していなかったそうですし、お釈迦様の時代には、お寺も、仏像もありませんでした。現代でも、護摩焚きと言って、火を焚いて、祈ることが行われていますが、お釈迦様はそれらを禁じていたのです。

何かを祀って祈る行為は、イエス様も、お釈迦様も禁じていました。そもそも、人間がこしらえた建物に、どのような神様が宿るというのでしょう。神は、食べ物やお金など要求しないはずです。私たちが生きる、自然界が活動できる、大宇宙が躍動できる、そのエネルギー源が神のはずです。太陽が活動するエネルギー源も、神からのエネルギーとするなら、太陽光は神の光であり、愛でもあります。愛というと、親子愛や男女の愛を想うかもしれませんが、実は、神のエネルギーとは、愛とイコールなのです。

人の心は、愛で満たされるように出来ています。なぜなら、私たちを生かしているエネルギーとは、神から送られてくる「霊子エネルギー」であり、このエネルギーとは「愛」でもあるからです。人は誰でも、愛されたいと願い、また、相手を愛したいという気持ちを持っています。動物たちでもそうなのですが、彼らは本能的です。人間は、万物の霊長といわれるのは、神と同じ能力、権能が与えられているからです。人間には、ものを創造する力が与えられています。

心で想ったことは、やがて具体的な形となって現れることは、誰しも、思い当たる節があるはずです。しかし、お金が欲しいと念じても、お金持ちになれないという方があるかも知れません。お金が欲しいと誰もが念じていますので、一番強く念じ、努力している人に集まりやすい。念じたことは、いづれ形となって現れますので、悪事を念じないようにしなければなりません。念じたことが現れる、これを繰り返して、正しく思うことの重要性を学んでゆきます。