掃除・反省、釈迦のお弟子さんにならう

お釈迦様のお弟子さんに、自分の名前すら覚えられない、もの覚えの良くない方がいらしたそうです。その方は自分の仕事として、毎日お掃除を熱心にこなされました。掃除をしながら「綺麗になれ、綺麗になれ」と声に出しながら掃除をされたそうです。その方はやがて自らを悟られた。掃除をするよう指示を出したのはお釈迦様であった。そのお弟子さんが亡くなられ、彼のお墓の上に生えてきたのが茗荷でした。物覚えの悪いお弟子さんの墓の上から生えてきた。「茗荷を食べると物忘れする」という話は、ここから生まれました。

私達は歳を経るにつれ、子供の頃の純真な心を失ってゆきます。人を中傷する、怒る、愚痴る、むさぼる、悲しむ・・・日頃の生活習慣を通して次第に心は汚れます。反省が必要と分かってはいても、時間が取れなかったり、一人になれる機会が持てず、なかなか実行出来ません。そこで普段から掃除の習慣を身に付けるといいのです。掃除をして床を磨くように、心を磨く。

お部屋の中の整理整頓、不要なモノを処分する、掃除機をかけ雑巾がけをする。部屋の中がスッキリと片付くと、部屋の空気までも変わります。掃除をする習慣が身に付くと、心の中にある不要なモノも捨てやすくなります。不要なモノがあっても、なかなか捨てられない。モノに対する執着があるからです。心の中に詰め込まれている雑念も、執着心がその根となっています。過去に経験した苦い想いがいつまでも心から離れないので、重荷となり、心は安らぎを得られなくなります。

例えば、パソコンに様々なソフトやデータを積み込むと、処理速度が遅くなったり、フリーズしたりして性能が落ちてきます。人の心も、多くの問題を抱え込んだり、雑念を溜め込んでいると、心が疲労してしまいます。そこで雑念を払いのけ、心の整理をする必要があります。人の記憶は消せませんが、こだわり、執着心を解くことはできます。過去の過ちをよく反省したら、もうその事柄には触れないようにしましょう。時は前に進むのみですから、いつまでもクヨクヨと過去にこだわり続けるのは良くありません。

反省道場などで反省をした後は、石ころや草花が輝いて見えます。心が綺麗になった分、心は軽くなり、視界がリアリティを持って映し出されるようになるからです。心の垢落としは、反省道場に通わなくても、いつでもどこでも出来ます。要はやる気次第です。正法は反省がとても重視されています。反省をして心を綺麗にしてから瞑想に入ります。心が汚れたままで瞑想に入ると、不調和なままなので危険が伴います。反省後の瞑想は、精神性を高めてくれ、心に安らぎをもたらすので、毎日欠かさないようにしたいものです。

よく仕事場に着くと、まず最初にトイレ掃除をする方は多いです。それも会社の社長さん、芸能人、著名人の方々に大勢いらっしゃいます。その理由とは、初心を忘れないためであったり、何かしら自分に対する戒めを含んでいる場合が多いです。大物芸能人の方でもおられます。人は傲慢になりやすく自惚れやすい。そうならないためにも、トイレ掃除は良い策かも知れません。自分の名前すら覚えられなかった釈迦のお弟子さんが、毎日の掃除を通して、悟りへと至ったことを忘れないようにしたい。

自分もこれまでの人生を振り返り、反省しようと思っても、なかなか始められないかも知れません。しかし、いづれ自らを裁く時が訪れるそうです。生きている内に反省するか、この世を去ってからするか。早ければ早いほど、自由と安らぎを早く得ることができます。誰のためでもなく自分自身のためなのです。正法とは実践しなければ、絵に描いた餅に過ぎません。一日躊躇すれば一日遠ざかる。私たちは悔いの無い人生を歩まなくてはなりません。

「掃除・反省、釈迦のお弟子さんにならう」への1件の返信

  1. POURNER9523 より:

    Thank you!!1

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